イギリスには「ストーンヘンジ」を始め数多くのストーンサークルがある。日本でも秋田の「大湯環状列石」を始め、東日本を中心に多くのストーンサークルが発見されている。ストーンサークルは世界各地で発見されているがいずれも有史以前の遺構のため、何のためにつくられたものなのかなど解明されていない点が多いが、遺構や出土品から、生死や葬儀に関する祭事施設であったとされることが多い。また夏至や冬至時の太陽の方角と関係した配置がされているものも数多く見つかっており、イギリスのストーンヘンジは夏至の「日の出」と石の配置が重なり、秋田の大湯環状列石は夏至の「日没」と石の配置が重なる。
世界の紛争の多くは、歴史的・宗教的な対立に根ざしている。そんな歴史と宗教の現実のその一方でストーンサークルに目を向けてみると、数千年前に遠く離れた場所で、同じような構造物を使って何かに祈りを捧げていた痕跡があるという。それは歴史や宗教が提示してくれる、もう1つの希望のように私は感じた。もし数千年前に、世界の複数の場所で共通の儀礼が行われていたとしたら、今この時代にそれを再現することはできないだろうか。歴史を解釈することから紛争が生まれているのなら、それとは違う視点で解釈することで、世界のもう1つのありようを表現できないだろうか。