震災と津波の被害を受けた宮城県石巻市の中でも特に被害が大きかった南浜・中瀬地区。このエリアを震災復興記念公園にする計画が2011年の秋から10年計画でスタートした。中澤は石巻市と都市開発コンサルタントからの依頼を元に、市民団体やNPOなど地域のステークホルダーと複数回のワークショップを実施。初回は、現実を受け入れられない遺族たちと、復興後の観光・スポーツ振興を目指す団体がそれぞれの主張を市に対してスピーチし始めるという想定外の状況が発生しワークショップの進行が中断。市民団体が個別に市に陳情をあげて対立する構造が明らかになった。最後のワークショップを経ても結論は1つにまとまらなかったが、異なる意見を持つ人たちが直接話し合い、互いの立場に認識し合うことで人間関係が生まれた。その後、市民団体同士が市を通さずに直接意見交換して企画を作るといった動きが始まり、本来の意味での民主主義が始まる瞬間となった。