幕があがる
下田寛典 2025.05.04

前回の記事で、タイでの作品制作は自分史における「ひとつの区切り」といったことを綴った。創作の原動力を社会への怒りに拠らずに、いったいどこに求めるのか。
タイでの創作を終え、「区切りを迎えても、昨日から続く今日がやってくる。この続いていく日常はいったいなんだろうか。そもそも昨日から今日が地続きで続いていく(ように思える)のはなぜだろう」といったしょうもないことを思いながら、ぼんやり過ごしていた。振り返ると、演劇の創作活動の現場からは少し離れていた。
2025年4月、新作の創作の現場に舞台監督として参加している。『うなぎの回遊 Eel Migration』(仮題)という作品(※)だ。
いま、静岡市の舞台芸術公園の宿舎に寝泊まりして現場の日々を送っている。朝起きて窓を開けると、眼下に茶畑の緑が広がっていて、森で暮らす鳥の声が耳に入ってくる。東京では毎朝神社に参拝しているが、ここでも朝の日課で近くの平沢寺にお参りに行っている。お米を炊いて、ご飯をタッパーに詰めて、稽古場に向かう。夕方に宿舎に戻り、またお米を炊いて、明日のことを考えながら寝る。そうして翌朝を迎える。なぜかわからないけど、昨日から今日はやっぱり続いていて、リセットされずにワンルームの部屋で目を覚ます。眼下に茶畑の緑が広がっていて、鳥の声が耳に入ってくる。そうして、幕があがる日に近づいていく。



宇宙がうまれたこと、惑星や地球があること、いま舞台芸術公園のワンルームでブログを綴っていること。昨日から今日へ、今日から明日へ続いていく(かもしれない)。それを日常と呼ぶのかどうかは分からないが、「奇跡」といったロマンチックな言葉では片づけられない、摩訶不思議な恐れを感じる。その恐れを抱えながら、きっと、明日、幕があがる。
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※『うなぎの回遊 Eel Migration』(仮題)の制作スケジュール:
2024年6月~ リサーチ開始
2025年2月~ クリエーション開始
2026年2月浜松にて ワーク・イン・プログレス発表
★2025年4月に舞台芸術公園にて小さなパフォーマンス(オープンスタジオ)を上演。
https://spac.or.jp/blog/?p=34643
https://spac.or.jp/blog/?p=34772