よそのこと
下田寛典 2022.03.15
テレビをつけると戦争の映像ばかり。インターネットのおかげで、リアルタイムの戦場が画面越しに眺められてしまう時代だ。気分が落ち込む。それは、戦争の悲惨さによる痛みではなく、世界とつながることを強制される窮屈さからだ。
戦争報道もそうだし、それに対して、自分ごととして考えようとアナウンサーが熱を帯びて訴えているのを聞いていると、正直、ほっておいてほしいな、と感じることがある。「自分ごと」「共生」というフレーズが、世界と強制的につなげられてしまう中にあって、別の意味で、プロパガンダのような押し付けがましさを覚えるのだ。
大田区にある勝海舟記念館に行ったとき、百数十年前に、世界に出かけられる人はほんの僅かだった(尚且つ命がけだった)ことを知った。海を隔てたその先に人が住んでいることを想像したかもしれないが、その暮らしぶりの実情を知ることが出来た人はほとんどいなかっただろう。海外のことは、「よそのこと」だった。
よそのことを、よそのこととしてほっておけず、その結果として侵略があり、勝利を勝ち獲るための技術革新もあったのだろう。それが積み重なって現代である。
もう、よそのことは、よそのこととして、適度にほっておいてあげたい。身の丈以上のことはもうあきらめてしまいたい。科学技術の恩恵に胡坐をかきながら、そんないい加減なことを思ってしまう。