よだれ、生命、どんぐりの花
石神夏希 2022.11.18
初夏、だんだんと暑くなるころに木の多い場所を通り抜けるとき、強く香る「あの匂い」が好きだ。
と以前だれかに話したら「それ人前で言うと、やばいよ」と笑われた。
言われるまで気がつかなかったのだけど、それは精液の匂いに似ているのだった。調べてみると、マテバシイやスダジイなど、どんぐりのなる木の花が香っているらしい。田舎だと栗の木のことも多いそうだ。よく「栗の花の匂い」とはいうけれど、わたしがその匂いに出くわすのは比較的都会の住宅街や公園だったから、きっとどんぐりの方だろう。
わたしがその花の匂いを好きな理由は夏、とくに初夏が好きだから。そこかしこで一気に溢れ出すような自然の力強い生命力を感じて、少しこわいような、じっとしていられないような感じが腹の底から突き上げてきて、わくわくする。
もう11月なのにそのことを突然思い出したのは、先日、息子のよだれから同じ匂いがしたからだった。2歳にならない息子はまだ、よだれかけを一日に何度か取り替えなければならない。朝、保育園に出かける前に濡れたよだれかけを取り外そうと屈んだら、いつもと違う匂いがした。あれ? と思って鼻を近づけてみると、どんぐりの木の匂いがする。青いような苦いような酸っぱいような、あの独特の匂い。その瞬間、ああそうかと腹に落ちた。栗だろうとどんぐりだろうと精液だろうとよだれだろうと、これは「生命力の匂い」なのだ。その匂いにわたしが走り出したいような気持ちになるのも、きっと自然の本能なのだ。小さな息子の体の奥から、いつか溢れ出してくる次の生命を思う朝。