静岡の治水が気になる、気になっている
石神夏希 2022.11.09
わたしが住んでいる静岡市には「かわなび」という治水交流資料館がある。以前から興味を持っていたのだが、アートプロジェクトのリサーチで必要になり、きのう急に足を運ぶことになった。
【*ご注意*】
以下は、わたしがこれまで理解したことを自分なりに噛み砕いた言葉で書いているので、ひょっとしたら間違ったことを書いているおそれがあります。正しい情報を求めるかたは、ご自分で調べてみてください。
静岡市では昭和49年7月7日に「七夕豪雨」という、観測史上最大の降水量を記録した大水害が起こり、一晩で27名の死者が出た。「かわなび」ではこの大災害をきっかけに市が取り組んできた治水対策と、江戸時代や明治期からの治水の歴史が紹介されている。
静岡市には「安倍川(あべかわ)」という一級河川がある。市内に水源と河口を持つ一級河川というものは珍しいそうで、何が言えるかといえば、非常に急峻な川だということだ。安倍川の激しい流れが山から大量の土砂を押し流し、その堆積が静岡平野を形作った。そして二級河川「巴川(ともえがわ)」は静岡市の北部に位置する「麻機(あさはた/あさばた)」というエリアから清水港まで、西から東へ蛇行するように流れる。こちらは打って変わって起点から河口まで高低差が6mしかない緩慢な川で、つまりはちょっと水量が増えるとすぐに溢れてしまう。この巴川が「かわなび」の主役だ。
もともと静岡市の大部分は「縄文海進」(氷河期の終わりから海面が上昇し陸地が沈んだ=内陸まで海が進入した現象)の時代には、海の底だった(こちらで古代の地形図が見られる)。その後、水はゆっくりと引いていったが、「古麻機湾」という深い入り江が干上がって最後に残った一筋の流れが、巴川だという。つまり流域一帯はもともと低地で、たいへん氾濫しやすい土地柄なのだ。
で、2年前に静岡市に引越してきたわたしは、実はこの麻機というエリアのすぐそばに住んでいる。何も知らずたまたま部屋から見える賤機山ビューが気に入って、この地域の賃貸住宅を選んだわけだけど、暮らすうちにだんだんと土地柄がわかってきた。
それは、この地域が大昔から「沼地」「湿地」で、ひとびとが手を焼いてきた土地柄だ、ということだ。「沼ばあさん」という民話も残っているくらいだ。たしかに当初から、マンションが土砂災害警戒区域に入っていたり、散歩中にレンコン畑を見かけたりしていたので、湿っぽいんだなあとは思っていたが、ここまで氾濫しやすい土地とは知らなかった。
巴川に話を戻そう。もともと「九十九曲がり」と呼ばれるほどくねくねと蛇行しまくっていた巴川だが、明治時代に手作業で(!)流路の整備が行われ、流域の氾濫はだいぶ抑えられたそうだ。だが七夕豪雨では静岡市全域のかなりの範囲が浸水被害に遭い、多くの死者も出た。そこで改めて大規模な治水工事が行われた。
ひとつは七夕豪雨の翌年に着工された「麻機遊水地」の整備。川の水量が増えたり溢れたりしたときに貯水するための区域で、池(旧麻機沼)を囲む自然公園として整備されている。普段は在来種の植物や野鳥が見られるビオトープで、わたしもよく子どもと散歩に出かける。自然そのものではなく、風景としては遠くに高速道路やコンクリート工場が映り込むのも、郊外特有のザラザラした感じで悪くない。
もうひとつは「大谷川放水路」の整備だ。これは市北部(山側)を東西に流れていた巴川を、市南部(海側)を南北に流れていた大谷川という短い川に接続し、分流・駿河湾へ放水することで、流量を抑える工事だ。わたしが昨日出かけた「かわなび」は、この放水路の河口近くにある。しずてつ(静岡鉄道という私鉄)に乗るときに放水路の上を通過するのだが、河口を見たのは今回が初めてだった。
「かわなび」は麻機に近い我が家からだと、バスを乗り継いで1時間以上かかった。目の前は海。もし南海トラフ地震で津波が起きたら、この資料館がまっさきに呑み込まれてしまうだろうなと思った。それは治水資料館という使命的にどうなんだろう。と思ったが、体験的な学びという意味では、これ以上ふさわしい立地もないかもしれない。
資料館は簡素な内容ながら、ジオラマと映像がわかりやすかった。またそれをただ垂れ流すのではなくて、職員のひとがとても丁寧に解説してくれたうえで「では、ここで8分ほどの映像を見ていただきます」という感じで映像を流し、我々が見たあと更に解説してくれる、という非常に親切な仕組みになっていた。それにしても、静岡市を断面図で見るとやはりエグい高低差だ。
プロジェクトのリサーチのために行ったはずが、わたしはずっと「次どこに引越せば、家族三人が生き延びられるだろうか」ということばかり考えていた。わたしは前述した麻機遊水地の風景がとても好きで、特によそ者として「孤育て」を始めたころは心のよりどころにしていた。だから愛着はあるのだが、ここまで低地で、土砂災害の危険もあると悩ましい。
というのも静岡市ではつい先々月(2022年9月)、七夕豪雨に次ぐ記録的大雨が降り、わたしたちの住むマンションでも停電とそれに伴う断水を経験したからだ。山間部や、静岡市の東部にあたる清水区(旧清水市)エリアでは、断水被害はもっと深刻だった。治水対策は確実に被害を抑えただろうけれど、それでもインフラが想定以上または想定外の打撃を受けた形だ。気候変動の影響もあるかもしれない。
子どもが生まれるまで、わたしは死ぬことがそんなに怖くなかった。死の瞬間とか死んでしまう経緯や痛みに対する恐怖はあったけれど、好きなことをして生きてきたしいつ死んでもまあ後悔はない、と思っていた。それが子どもが生まれた途端、死ぬことがとても恐ろしくなった。子どもが死ぬことはもちろん、自分が死ぬことも。守るものがあるとひとは弱くなる。「ああわたしは弱くなったのだ」と観念しながら、どうやって生き延びるかを考え始めた。
むかし観た『バットマン』の冒頭だかで、コウモリが怖い主人公が「自分の恐怖の対象になれば恐怖を克服できる」と言っているくだりが確かあって(うろおぼえ)、恐怖を感じた時はいつも、その対象に自分が同化することをイメージするようにしている。別にバットマン好きじゃないけど。
水はひとびとに害をなそうとか益をもたらそうとか思って流れているわけではないけれど、水から見たこのまちの景色を、演劇を通じて想像することはできる。水の立場からじぶんたちの暮らしを眺め返し、目の前にいるひとりの子どもの命を生かすにはどうすればいいか、なにかしら答えを見つけることはできるかもしれない。「見つけたい。というか生き延びたい」ということを原動力に、ひとまずはリサーチを進めていこうと思っている。
ちなみにペピンのプロフィール写真も、みんなに静岡まで来てもらって麻機遊水地で撮影した。うしろに見えるのが賎機山です。